皆さんは子供と接することは好きですか?僕は自分ではなんでだか分かってないのですが、いつの頃からか子供と接することが楽しくなりました。昔はそんなに得意じゃなかったんですけどね。

子供と接する機会が多いと、子供の未来について考えることがあります。「どうやって接すればどんなコに育つんだろう?」とか、「大人として、子供にどんなことを与えてあげられるのだろう?」とか。

そこに「これが正しい!」という答えは無く、その子の性格や生活環境によっても異なることなので、ひとそれぞれというのが、ひとつの答えだと思います。

そんな中、僕は個人的に「子供に伝えたいこと」を持って子供たちと接しています。そして、それは学校など、普段の生活で教わることとは少し異なる視点での意見のようです。

もしかして僕が子供に好かれる理由は、「なにを伝えたいのか?」がハッキリしているからかもしれません。では、僕は子供たちに何を伝えたいと思っているのでしょうか?


頼まれたことには応えよう。

人に何かをお願いされたとき、快くそのお願いを引き受けて行動していけば、いずれは「頼れる存在」になることが出来ます。

trust / CairoCarol

又、人にお願いされることで、自分の経験が増えて行き、自分の出来ることが増えて行き、出来ることが増えて行くことで人からの評価が上がって行きます。

逆に、人からお願いされても「えー、めんどいから嫌だー。」なんて言って、毎回毎回断っていたら相手はどう思うでしょう?

いずれは「こいつに頼んでもどうせ引き受けてくれないから、別の人に頼むか」となっていき、ずっと断っていた人には、そのうち何も頼み事が来なくなってしまいます。

人に頼られないということは「信頼されてないこと」と一緒ですよね。「自分ひとりの力で行きて行く!」と言い張るならそれはそれで良いかもしれませんが、「人に頼られる」というのは思った以上にモチベーションに繋がるものです。

頼まれたことに一生懸命応えていれば、人に頼られるようになり、頼られることでモチベーションが上がり、ぐいぐい前に進んで行けるのです。


暴力を振るうのは止めよう。

人に暴力を振るってはいけないのは、当たり前の話ですが、ただ相手を傷つけては行けないから暴力はダメ!と言いたいわけではないんですよね。(それは大前提にあることなので。)

子供が人を叩いてしまったり、傷つけてしまう場合、それは必ずしも「叩いたほうが悪い」という図式ではない場合があります。「相手が嫌なことをしたから叩いた」とか、そもそも事故だったという場合もあるかもしれません。

しかし、どんなに正論を言っていて、それが正義感あふれる暴力だったとしても、人を傷つけてしまった以上は「悪」とみなされてしまうのです。

例えば、ガキ大将的な存在で力が強く少し手が出るのが早いA君と、それとは対照的で勉強はできるけど運動が苦手で決して明るいタイプではないB君がいたとします。

A君の側でB君が泣いていたら、周囲の人たちは何て声をかけるでしょうか?

「どうしたの?また何かしたの?(もしくは、また何かされたの?)」というように、「A君がB君に意地悪をして泣かせた」ということ前提に話しかけてしまいます。こういう状況って、僕が見ている限り非常に多いんですよね。

もしかしたら、A君の手がたまたまB君に強くあたってしまった事故かもしれないですし、A君は泣いているB君を「大丈夫か?」と心配して側にいただけかもしれません。

でもA君は疑いをかけられてしまうんです。それは、いつも暴力を振るっているから。そして、周囲の人にそのイメージがついてしまったからです。

人に暴力を振るって良いことはありません。相手にとって良いことが無いのはもちろんですが、そんなことで自分の評価を下げてしまうことがもったいないです。

感情的になっても自分の為だと思って、ぐっと我慢するのです。


人を責めるのではなく、人を認めよう。

人を認めることは、自分を認めることに繋がります。人を肯定したことは、自分も肯定されるんですよね。

Affirmation! / bark

人というのは不思議なもので、すぐに人のことを責めようとします。政治の世界やネットの世界を見ていれば嫌なくらい感じられますよね。誰かの揚げ足を取ることばかり考えて、「んじゃ?自分はどうなのよ?」と言いたくなる状況は沢山あると思います。

これって、動物の本能的なものなんでしょうかね?やっぱり相手より優位に立つことが自然界では生き残って行く術でしょうし、本能的に自分を優位にする為に、相手を蹴落とすという意識がインプットされているのかもしれませんね。

しかし、人は他の動物とは異なり、本能だけで生きているわけではありません。社会と文化を形成する生き物です。相手との関係性というものが、自分が行きて行く中で非常に重要になって行くのです。

人を責めてしまうと、その言葉はいずれは自分に返ってきてしまいます。

例えば、A君がB君に「お前、俺より頭悪いよなー!バーカ!」とバカにしたとします。A君は「自分はB君より優れているんだ!」という優越感を得ようとして、このようなことを言ったのでしょう。

A君のこの発言により、A君よりB君が優れているということが成り立ってしまった場合、「頭が良いほうが優れている」というルールが成り立ってしまうんですよね。

「頭が良いほうが優れている」というルールは、A君本人にも適用するわけですから、A君より頭の良いC君が登場してきてしまったら、A君は「頭の悪いバカ」になってしまいます。

そこでA君は自分が「C君より頭が悪い」ということにコンプレックスを感じ、自分に自信を無くしてしまいます。自分がこんなルールを作ってしまったばかりに。

自分が相手より優位に立とうとするとき、それは逆に自分の首を絞めてしまっていることに繋がっているということですね。これって大人でも気づいている人って少ないんじゃないかと思います。

「デブ」っていう言葉を悪口として使ったら、自分は「デブ」になれないわけですよ。もし10年後20年後に「デブ」になってしまったら、それで苦しむわけですよ。

ネガティブな言葉で相手を責めるのではなく、相手の良いところを見つけて、ポジティブな言葉で相手を認めることが出来れば、どんどん自分にも余裕ができて生きやすくなっていきます。


伝えるのは難しい。でも、それでいい。

以上が、僕が子供と接しているときに常に意識していることです。

正直、小学生低学年のコとかに伝えようとしても理解してくれるような内容では無いんですよね。でも、このスタンスを貫いていれば、全ては伝わらなくても良いんじゃないかと思います。

子供は大人が思った以上に、感覚で理解してくれます。僕の周りに子供が集まってくる理由は、感覚的に「この人といると何か楽しい」とか「この人の言うことは他の人と違う」とか、そういうことを感じ取ってくれているんじゃないでしょうか。

だから他の大人より僕が優れているのではなく、それが僕の役割であり出来ることなんですよね。自分が経験したことを伝えていくことが、自分の出来ることだと思っています。

皆さんは、どんなことを子供たちに伝えていきたいですか?ぜひ考えてみてください。

あでゅ。