情報過多は優越感と劣等感が生じさせているという話。
情報という日本海の厳しい荒波のような海を泳がなければ、世の中わたっていけないと思っていました。でも、今はそうじゃないような気がしています。
だって、
オラオラオラオラオラオラぁぁぁぁっぁぁぁぁーーーーーーー!!!!
情報情報情報ぉぉぉぅぅぅぁぁぁーーーーー!!!
ということで、皆様情報の海を上手く泳げていますか?それとも、溺れかけていますか?
僕は一足先に情報の海から逃げ出そうと思います。
情報という日本海の厳しい荒波のような海を泳がなければ、世の中わたっていけないと思っていました。でも、今はそうじゃないような気がしています。
この島は、このままじゃやばいぞーーー!
早く、荒波を乗り越えてこの海をわたるんだー!
という、どこからともなく聞こえてきた鶴の一声に衝動的になっているような気がして仕方がなかったからです。
本当に、その海を泳ぐ必要があるの?
もしかしたら、空飛べるんじゃないの?
的な。
しばらく、テレビは見てないですし、ニュースも見てないですし、もちろん新聞も読んでいません。これまでスマフォでチェックしていた、ニュースアプリを見るのもほとんど辞めました。
情報の海に溺れそうになったから、少し空を眺めてみようと思ったのです。
情報を空っぽにしていたら、意外と必要な情報は入って来たりします。仕事に役に立つ、趣味に役に立つ情報は、こっちから検索すればいいですし。人とつながっていれば、人伝いに情報はやってきます。
だから、垂れ流しの情報を追いかけるのは辞めてみました。
そもそも、なんで皆必死に情報の海を必死に泳いでいるのか考えてみましょう。
なんでだろう。
なんでだろう。
なんでだろう。
どうですか?
僕の答えは以下のとおり。
理由①
おれのほうが良い情報もってるぜ!ものしりだぜ!という優越感を得たいから。
理由②
やべっ、おれ全然ものしらねー...遅れてるぞおれ...。という劣等感を感じたくないから。
こういう心理状態が、情報の海に飛び込む理由になってるんじゃないかと思うんですよね。
そして、このように考えて思い浮かんだこと。
「これって必要なの?」
この時に感じる「優越感を得たい」という感情と「劣等感を感じたくない」という感情って、本当に必要なことなんですかね?
「優越感」は、問題外。意味が無いと思っています。個人的には。「劣等感」は、そもそも感じなくて良いんじゃないですか?
だって、
友達や、同僚、足を運んだイベントで知り合った人が、自分の知らない情報を自慢気に語っていたとします。そしたら、「お、この人知らない情報もってるぞ。詳しい話を聞こう!」って考えれば良いんじゃないかと思います。
だから「やべ、おれその情報知らね...」なんて思わなくてもいいんじゃないですかね。
素直に「おれ、ニュースも見ないし新聞も読まないから、情報弱者なんすよ。詳しい話聞かせてくれませんかねぇ~?」なんて言って、相手を持ち上げつつ情報を引き出せばいいじゃないですか。
そしたら、「おお、そんなのも知らないの?しゃーねーな、(情報強者のおれが)教えてやるか~」という風に調子乗ってベラベラと喋ってくれますよ。きっと。
ちなみに、「劣等感」を感じる理由って、「優越感を得たいから」だと思っているので、結局は「優越感」が根本的な理由となってきますが。
「優越感を得たい」なんていう、くだらない理由のために情報の海に無理やり飛び込んで溺れていませんか?
無駄に身投げするのは辞めましょう。
海はそんなに優しくありません。海女さんのように必須であれば別だけど、飛び込む理由を考えて判断をすればいいんじゃないかと思います。
あでゅ。
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