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2014年04月

little flame
little flame / fazen



「愛」という言葉を口にしたとき、たいていの人はむずむずした落ち着かない気持ちになるだろう。なんか腑に落ちないというか、地に足がついていない感じに逃げ出したくなるだろう。

それは、僕らが「愛」というものの正体をいまいち掴めていないからなんだろうか?


このあいだ僕は、とある子(19才の女の子)となぜか「愛」について語ることになってしまった。正直、僕も「愛」という言葉を口にすることなんかこっ恥ずかしくて、ふわふわした気持ちでいたものだ。

その19才の女の子は、「永遠の愛」について考えたいらしい。この年齢で、なぜそんなことを考えているのか?と不思議に思うほどの壮大なテーマだ。このままいけば有望な哲学者になれるかもしれない。(哲学者が将来有望かどうかは置いておいて。)

僕はその話しに乗って上げることにした。普段からその子の考えることや発言には興味があったし、こうやって語り合う場を、その子も僕も必要とし、飢えていたんじゃないかなと後で思った。


彼女の主張したいことは、こうだった。


「永遠の愛はある」


僕は、なぜこんなことを考えだしたかと聞いてみた。
彼女は答える。


『私の同世代の子たちって、彼氏が出来た出来ないで、すぐに上がったり下がったりするんですよね。ちょっとしたことでケンカしたからって「もう無理」ってすぐ別れちゃったり、彼が自分の思ったように行動してくれなかったら「彼氏が何もしてくれない」って勝手に怒ってばっかりいる。理想が高いというか、自分のことしか考えていないというか。今の欲求を満たすことしか考えてない。でも私は、その子たちの気持ちが良くわからない。だって、もしケンカをして嫌な思いをしても、その先に「愛」が生まれる可能性はまだあるでしょ?お互い未熟なだけかもしれないし、その一瞬のために「本当は続くかもしれない」モノを手放すのはもったいないなって思う。私は永遠ってあると思うから、永遠に続くものを探したいんですよね。』


ほう...。やはり良い哲学者になれそうだ...。つまり彼女は、同世代の女子とのガールズトークに不満を持っているらしい。「みんな、なんで目先のことしか考えてないんだろう?」と。

僕は更に質問を続けた。


『さっき「永遠」があるって言ってたと思うけど、んじゃひとつ質問させてもらうね。好きな人が出来て、その人に運命を感じて、結婚をしたとしよう。そこにはもちろん愛が生まれているだろう。でも、いずれは年を重ね、老いてくれば、どちらかが先立つことになってしまうよね?それでも「永遠」はあるって思うのかな?』


僕自身は、この質問への答えを自分なりに持っている。そして、彼女がどう答えるのかもなんとなく分かっていたが、若干いじわるをするつもりで投げかけてみた。

彼女は答える。


『んー。例えば、好きな人が死んでしまったとしても、そこに「愛」がちゃんとあれば続くと思う。例えば、子供と親の関係だったらそうでしょ?私のお母さんが死んじゃっても、私のお母さんに対する「愛」は変わらないし、その後もお母さんの「愛」も感じられて生きられると思う。』


彼女はよほど母親に愛されて育ってきたようだ。まぁ、聞く人によっては「きれいごとだ」と言われてしまうかもしれないが、こうやって自分の考えを主張することはとても素晴らしいと思う。そして、彼女の主張する「愛」についての考えは僕も同感だ。


日々生活していて、物質的なものの価値がどんどん薄れてきていると感じている。東日本大震災以降は特にだ。3年前のあの震災は、「カタチあるモノの価値」「カタチあるモノの脆さ」「カタチあるモノに頼っていることの弱さ」について充分に考えさせられた災害だったはずだ。

しかし、この忙しい極まりない日本の都市部では、まだまだカタチのあるモノに縛られ、目の前の感情や欲求に目を向けることが「生き抜く」ための必須条件になっているような気がする。

それは今を生きることに精一杯で、先のことを考えている余裕がないからだろうか?それとも、みんな見て見ぬ振りをしているのだろうか?

これからはもっと持続可能で、彼女の言うような「永遠の愛」が感じられるような社会を構築していく必要があると思う。


「インディアンは7世代先の子孫を想い生きる」


というのは有名な話しだが、インディアンのような古くから文明を育ててきた原住民のような価値観を「僕らも持つべきなんじゃないか?」と本気で考えなければならない時代が必ず来る。

僕らの課題...いや今のところは僕個人の課題にしておくが、これから向き合うべき課題は「持続可能なものをこつこつと作り上げること」だということを、ここに宣言しておこう。

そして、彼女には「永遠の愛」ついてもっと考えてもらうことにしよう。




僕は「教育」と「コミュニティ」というふたつのテーマに興味を持った。

より良い生き方を探すためにはこのふたつのテーマが必要だと考えたからだ。それは誰もが分かっていることなんじゃないかと思う。

しばしこのふたつのテーマは議論の対象になることはあるが、現実的に僕らの生活に目に見える変化があるかと言ったら、なかなか実感することができない。

じゃあなんで、現実的に変化が訪れないのか?

それは今の生活に「余裕」ないからなんじゃないだろうか。

仕事におわれ、お金の支払いにおわれ、老後を気にしながら生活をしている。時間的にも精神的にも「余裕」はなく、いつもピリピリしていて、隙があれば愚痴ばかり言っている。

そんな「余裕」のない社会で何を変えられると言うのだろうか。

自分のことで一杯一杯の人達がどこまでまわりを見る余裕があるだろうか。

「教育」
「コミュニティ」

このふたつのテーマが成熟して行くためには、どうしても「余裕」が必要なのだ。

だから僕は、「余裕があって、多様性が認められて、未来が見えるコミュニティ」を作りたいと、漠然と考えていた。


出会いは、昨年末のことだ。僕は年末のまとめとして、これまでブログに書いてきたようなことをノートにまとめていた。

自分はこれから何をしたいと思っていて、何を勉強して、何をするべきなんだろうかと、じっくりと考えていた。

その夜、とあるラジオを聞いていたら、たまたま聞こえてきたフレーズに引っかかった。

「ゆるいコミュニティ」「お年寄りと若者のつながり」「地域づくり」そんな気になる言葉がならんでいた。

僕は急いでiPadを取り出し、ラジオで取り上げられていた場所を検索した。

そこには、僕が思い描いていた「ゆるいコミュニティ」の場所がそのまんまあったのだ。

それが、僕と島根の出会い。そして、「yurusato」との出会いだったのだ。

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yurusato
http://yurusato.com

2014-04-02-00-07-44


この前は、僕が「なぜ教育に興味をもったのか?」ということについて簡単に書いてみた。

次はこの「教育」というテーマからどうやって「島根」に繋がったのかだ。

「教育」と「島根」をつなぐにはもうひとつのキーワードがある。

それは、「コミュニティ」だ。

僕は身の回りの若い子の考え方や生き方を見て、とても窮屈に感じていた。何かを伺いながら生活をし、ときには怯えながら生きている。そして、そのことに対して危機感さえも覚えた。

そして、少なからず自分もその一員であることも充分に感じていた。

僕らはなんでそんなに窮屈な思いをしているのだろうか?その問いに対して、ふたつの仮定を立てたのは前述したとおりだ。

じゃあ、これからどうして行けばいいのだろうか?小手先の小細工でどうにかできる様な問題ではないことは明らかだった。

しかし、だからといって教育委員会や行政に頼っていたら何十年経っても解決されることはないんじゃないかとも思った。

根本的な問題は何なのだろうか。

そこで、僕はさらに3つのキーワードに注目した。

「多様性」
「経験」
「健康」

この3つだ。

全て解説して行きたいところだが、それではなかなか前に進まないので、細かいところはまたどこかでするとして、この3つのキーワードにとって必要なもの、そして見直さなければならないものは、「コミュニティ」なんじゃないかという結論に僕の考えは行き着いた。


「多様性が認められるコミュニティ」
「経験、体験が豊富にできるコミュニティ」
「心身ともに健康的に過ごせるコミュニティ」


完全に専門性のない持論だが、この3つの充実があれば、人は幸せに生きていけるんじゃないかという答えに行きついた。

だったら、そういうコミュニティを実現させたい。「日本の教育を変えたい!」「日本のコミュニティのあり方を変えたい!」とまでは言わないけど、そんな居場所を必要としている人のよりどころにくらいはなりたい。そう思った。

それから、僕はコミュニティデザインについての書籍を読んだり、子供と関わることが出来るNPOにボランティアとして参加したり、教育についてはさらに興味を深めて行った。健康については、もともと健康ヲタだったので、特に苦労せずに知識を身につけることが出来た。

そうやって書籍やネットでの情報に触れたり、いろんな人の話を聞いているうちに、「誰もが気軽に集まれる居場所を作りたい」という思いが強くなっていた。

その思いをさらに強くしたのが、まだ記憶に新しい東京都知事選だったりもする。僕は、突如おじいちゃん候補者達の中をかき分けて現れた、家入一真候補のボランティアとして、それほど力にはなれなかったが参加させてもらうことにした。

家入さんがかかげていた「僕らの居場所」と、僕の考える「居場所」が非常に近いものだったからだ。

自分を認めてもらえる居場所があれば、好きなことを好きなだけ経験出来る居場所があれば、心身ともに健全でいれる居場所があれば、もっと僕らは生きやすくなるんじゃないだろうか。

きっと家入さんも、僕と同じようなことを考えているはずだ。

誰でも気軽に出入りができて、ゆるいコミュニティがあって、ワークショップなどの体験も出来る居場所。次世代集会場みたいなものを作りたい。その思いはどんどん強くなっていった。

今回はここまで。

僕が島根と出会うのは、あと、もう少しだ。

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