いま、こんな本を読んでいます。
コント作家さんが書いた新書なんですけど、そりゃまぁタイトルのとおり、ふざけた面白い内容であります。
そのふざけた内容の中に、こんなことが書いてありました。
「何者かである」というのはもちろん素晴らしいですし、その専門性のある存在はあらゆる場所で重宝されるでしょう。
そして、「何者でもない」ということもまた、素晴らしいことだと思います。何かに特化した才能があるわけでもありませんし、専門的な腕一本で食べているわけでもありません。
「自分は何者でもない」と割り切っているので、ひとつの構造に固執することなく、あっちに顔出したり、こっちに手を出したりしてみながら、落ち着きなく生きています。
「何者でもない」ということにも、必ずアドバンテージはあります。
「何者かである」というのは、
自分はこうなりたい!将来この仕事で食っていくんだ!自分はこれが得意だからやらせてください!という、将来のビジョンが明確な人のこと。
「何者でもない」というのは、
先のことはぼんやりと考えていて、将来のために自分が今何をしようなんてことも、いまいちわからなくて、物事にもまだあまり深い関心をもっていない人のこと。
近頃の若いもんは...と老人めいたことをいうのもなんですが、現代の学生は「何者かである」人が、昔の僕ら世代に比べて多いような気がします。
インターンに行ってきます!
海外に行ってきます!
休学します!
ワークショップに行ってきます!
異業種交流会に行ってきます!
まぁ、多いかどうかというところは、そんな学生が集まる場所に僕が社会人側のゲストとして呼ばれることがちらほらあるのと、
そもそもNPOで働いているので、そんな学生と触れ合う機会が多いだけなのかもしれません。
そんなことは置いておいて、そんな将来について意欲的な学生が増えることは、それはそれはとてもいいことだと思います。
社会のことを考えて、自分の将来のことを考えて、モチベーション高く前に進んでいる姿は尊敬できるし、素晴らしいことだと思います。
いっぽう。
「何者でもない」人たちは、どうでしょうか?
「何者でもない」人たちが力を発揮できる場があるのか僕は不安です。
なんだか世の中は無言の圧力的に、
「何者かになりなさい!」と言っているような気がして、
「何者でもない」人たちが「え...おれらも何者かにならなきゃいけないのか...」と思ってしまっているんじゃないかと心配です。
僕ら大人は、なんとなく「何者でもない」人が増えていくことに、不安を感じます。
こんな子たちが増えて行って、本当に大丈夫なのかな...?
この子たちの将来と、将来の日本が心配だ...。
そんな甘い考えじゃ社会は乗り越えられんぞ!
将来のことも考えていないなんてけしからん!
こんな感じで。
でも、そこに根拠はありません。
ゆとり世代だって、まだまだ20代半ばそこら。これからどんな人生が待ち受けていて、どんな失敗をして、どんな成功を味わうのかもわかりません。
失敗する人もいれば、成功をする人もたくさんいるんだと思います。
そんなの結局のところわからない。何が正しいなんてわからない。
だからつまるところ、どちらでもいいんじゃないかと思っています。
うまく人はうまくいくし、うまくいかない人はうまくいかないよね、ということです。
そしてそれよりも、「何者かである」と「何者でもない」がお互いのバランスがとても大切だと思うのです。
「何者かである」人は、
世のため人のため自分の能力を発揮して、社会の荒波を潜り抜けながらも、達成感に満ち溢れた人生を目指していきます。
「何者でもない」人は、
ふわふわしながら、仲間でなんとなく過ごしながら、余白を楽しみながら、なんとなく生きていくのです。
人生の目的なんか知らないし、考えてもわからないし、まぁ、今が楽しければいいよね的な考えで人生をどんぶらこと渡っていきます。
それぞれが、それぞれの良いところを発揮し、バランスをとっていくことで、たぶんいろいろとうまく進んでいくんだと思います。たぶん。
わからんけど。笑
だから、自分のことを「何者でもない」人だと思う人がいるならば、
無理して「何者かである」人にならなくても良いんじゃないかなと伝えたいと思います。
いや、今度そういう人がいたら伝えよう。
そういえば、気づいてみたら、僕も「何者でもない」人でした。
「何者かである」人に憧れて、無理して「何者かである」人になろうとして、スキルや能力を磨こうとしても、なにも続きませんでした。
びっくりするくらいなにも。笑
だからたぶん、違うんだと思います。無理して「何者かになろうとする」のは。
「何者かである」にあこがれて、「何者か」を目指すのもそれはそれで良いと思いますし。
いずれは、「何者か」になれる、何かを見つけられるかもしれませんし。
だから、どーでもいいし。なんでもいい。
そんなこと、どーでもいいくらい今日の島根は快晴なのでした。
あでゅ。
コメント
コメント一覧 (1)
記事を少し読ませていただき、楽しい内容でしたので、コメントさせていただきます。
自己紹介ですが、現在、農薬や化学肥料不使用の農業を鳥取県東伯郡で始めて五年目になります。現在32歳です。
最近は、近所の方や隣の町の方などに声をかけていただけて、出荷先が農産物直売所の他に増えまして、少し安心しています。最初の方は、農薬や化学肥料不使用の農業を始めるにあたって、正直故祖父と父ともめたことがありまして、そこが最高に苦労しました。
まあ、一致していうことは、周りが農薬ふってるのに、勝手なことしてっていうにんしきなのと、特に父は仕事柄、裁判所勤めのお堅い仕事なのですぐに多数決論理をふりかざしてました、今でも変わりませんが。農業の話をしているときに最近は多数決論理はしなくなりましたが、時々いまだに宗教臭いと思われる組織崇拝のような言論で正直カチンときますが、まあ言ってもなおらないでしょうし、言うだけ野暮かなと今では思ってます。
農業を始めて五年目になりますが、僕は幼い頃から人見知りはなかったので、農協だのグループだの一対一の関係なら多少でも余裕があるときは自分から話しかけたりしてまして、今では農協の関係の人から作物の出来など調子を聞かれたりするようになりました(笑)有機農業や地元農業委員会のグループには関係してますが、他の農協や周りのグループには距離をおいてます。
僕は、幼い頃から人見知りはないけど、下手にグループに入ると周りと調子を合わせるとか、みたいに同調圧力みたいなのがあるのでグループや組織は嫌悪感があります。
原則一対一のお互いに嘘偽りの少ない関係か、一人一人がいろいろ話ができるグループになら入ってます。
すみません、今回長くなりましたが、これで失礼します。
よろしければ、これからよろしくお願いいたします。