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昨日の移住日記で、小学校に潜入してきましたという記事を書きました。

ついに交通手段ゲット!そして、小学校への潜入に成功。 #移住日記 : 僕が東京から、最も遠い町に来た理由。

東京にいた頃もNPOのボランティアで公立小学校に入って遊びと学びのお手伝いをしたこともありましたが、それはあくまでも「スタッフ」という位置づけでそれほど「教育現場に入ったな」という感じはありませんでした。

今回も「スタッフ」には変わりないのですが、カッチリとした「スタッフ」というよりは「近所のお兄ちゃんが遊びに来た」というような感覚なので、子供たちとの触れ合いもこれまで経験したものと比べて、密度の濃いものになりそうです。

まだ小学校には2回しか伺っていないのですが、その中でも僕の中ではいろいろと気づきがありました。

小学生くらいのやんちゃ盛りのお子さんをお持ちの保護者の方や先生方々には「子供が言うこと聞かなくて大変!」と思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか?

確かに、小学生低学年くらいってパワーが有り余ってますからね。言うことを聞かないというのは凄い分かります。(僕の甥っ子がちょうどそのくらいなんです。)

でも、「何で言うことを聞かないのか?」ということを考えたことはありますか?

僕は今回、小学校に潜入したことで「これは子供も言うこと聞かないよなぁ」と肌で感じることが出来ました。「子供はなんで大人の言うことを聞かないのか?」ひとつの意見としてここに残しておきたいと思います。


大人が子供より「優秀」だと思っている限りは、何も変わらない。

真っ先に感じたのはこれなんです。根本的な問題としてはこれが解決しないと何も変わらないんじゃないかと思っています。

大人は自分たちのほうが人生経験も知識もあるし、優秀だと思っています。でも、そもそもこれが間違っていると僕は思います。

確かに、子供より計算は速いだろうし、漢字も書けるだろうし、車も運転できるだろうし、お金も持っています。でも、だからといって優秀かどうかは別の話です。ってか「これが出来るから優秀!」なんて価値観を持っているから多様性なんか生まれないんですよ。

先日、岡山県総社市の素晴らしい取り組みについてとりあげました。

岡山県総社市の障がい者雇用が素晴らしい!障がい者の役割...というか、もっと普段から役割に目を向けるべきでしょ。 : 僕が東京から、最も遠い町に来た理由。

ここでも書きましたが、目を向けなければならないのは「優秀かどうか」ではなく「役割はなんなのか」なんですよ。あるべく姿は「大人のほうが優秀だから、子供は言うことを聞きなさい」ではなく、「大人の役割と子供の役割を理解した上で、対等な立場でものごとを考えていきましょう」でしょう。

対等な立場で接してもらえない子供は、どのように感じるでしょうか?「どうせ自分の意見は聞いてもらえない」と感じるでしょうか?「認めてもらえない」と感じるでしょうか?「どうせ自分は出来ない子なんだ」と感じるでしょうか?

なんにせよ、一方的に正義を振りかざされても、良い感情を抱かないのは確かだと思います。


対等な立場とは、相手を仲間として頼れる関係性のこと。

じゃあ、「対等な立場ってなんですか?」と聞きたくなると思います。昨日実際に僕が子供と接していたときの事例を取り上げたいと思います。

放課後クラブでは最初の30分、遊びにいく前に宿題をすることになっています。宿題を終えた子供たちは「早く遊びにいきたい!」という気持ちが先立ち、机をぐちゃぐちゃにしたまま遊びにいこうとしました。「さすがにこれをこのままにしておくのは、ちょっとなぁ…」と思った僕は、子供たちに机を直すように伝えたのです。

さて、皆さんならこのときなんて声をかけるでしょうか?

普通なら「みんなー!机直してから遊びにいきなさいー!」というように伝えると思います。でも、これって命令じゃないですか。上から目線ですよね。自分のほうが優秀だと思っているから、命令するわけです。これでは子供たちも「へーい」とつれない返事をして嫌々机を直して行くと思います。

では、僕はなんて伝えたのか。

「みんなー、頼む!お願いがあるんだけど、このままじゃ先生に怒られちゃうから机直すの手伝ってくれないかー!」

あくまでも僕と子供たちの立場は同じで、命令をするのではなく、お願いをしました。仲間として力を貸してくれないかというお願いをしたんです。

そうすると子供たちは「いいよー!」と快く力を貸してくれました。

ちなみにそのときに「机をきれいに整えなければならない理由ってなんですか?」と、もし聞かれたときになんて答えれば良いかなと考えたのですが、良い答えが出てきませんでした。

今考えてみると「次の人が気持ちよく使えるように」というような答えが出て来たのですが、そのとき瞬時にはなかなか考えられませんでした。

だから僕は「怒られちゃうから」とう本音を伝えることにしました。まぁ理由はなんでも良いんじゃないかと思います。大事なのは本音を伝えているかどうかだと思うので。


本音を伝えなきゃ、子供は理解してくれない。

「大人のほうが優秀だ」と思っている人は、どうしても「大人のほうが立場が上じゃなければならない」と思ってしまう傾向があると思います。威厳を保とうとするんですね。

でもそうすると、どんどん自分の本音を言えなくなるんですよ。これ、僕も前の職場で経験したことなんですが、「上の立場」で、いようとすればいようとするほど本音が言えなくなり、都合が悪いことを言われると話をごまかしたりしてしまっていました。

例えばですよ、これさすがに小学生の前では言わなかったですけど、漢字ドリルで漢字を機械的に書いていくことに、どんな意味があると思いますか?

「漢字を覚えるために何回も何回も書いて体に覚え込ませる」というのなら分かりますけど、あの漢字ドリルって、「枠を埋めること」「終わらすこと」が目的になってますよね。

ってか、約20年前、僕が小学生だった頃は、ドリルを貰った瞬間から、一年分まとめて全部書いて速攻で終了させていましたけど。答えも見てましたけど。それが学習と言えますか?

今も20年前のやり方と、ほとんど変わってないということですよね。子供から「なんでドリルやらなきゃいけないの?」と言われたらなんて答えますか?

「漢字を覚えるためだよ!」と伝えますか?

だったら、絶対に、確実に、他の最適な方法をを探したほうが賢いでしょう。でも「ドリルをやらなきゃいけないルール」が学校には先あって、先生方もそれに従わなければならないので、この子供からの「なんでやらなきゃいけないの?」という質問は非常に都合の悪い質問なんです。

ここで子供に対して出てくる返答なんて、おそらく薄っぺらい、取ってつけたようなキレイごとでしょう。「漢字を覚えるためですよー」なんて理由になっていません。

そんなんじゃ子供たちは納得できませんよ。子供たちのほうが気持ちに対しては敏感なんですから、「この人はちゃんと答えてくれない」って思ってますよ絶対。大人の事情も分かってますよ全部。

僕が先生だったらこうやって答えますよ。

「そうなんだよねぇ。こんなんやっても意味ないと思うでしょ?でも、これやらなきゃいけないって学校で決められてるんだよねぇ。つまらないでしょ?先生も20年前は嫌々やってたよー。まぁでも、漢字は覚えて欲しいって思うから、どうやったもっと効率よく覚えられるか、一緒に考えてくれるか?それでみんながテストで点数とれるようになれば、ドリルなんかやらなくて良いですか?って校長先生にお願いしてくるよ。」

こうやって答える先生と、「漢字を覚えるためですよー」と答える先生と、どちらが信頼できますか?親御さんはどちらの先生を信頼できますか?

これはもし僕が先生だったらの話ですけどね。そして、こんなこと言っていると他の先生から村八分にされて肩身が狭い思いをしそうなので、学校の組織の中に入ろうとなんて思わないですけどね。

「こんなこと言えるわけねーだろ!」と憤慨する先生方もいらっしゃるかと思いますが、子供たちのことを考えたら、本来はこうやって言うべきでしょう。そして学校の仕組みを変えるべきでしょう。


これは教育だけではなく、日本の社会全体で起こっていること。

これは誤解しないで欲しいのですが、僕がお世話になっている小学校がどうこうという意味ではなくて、「日本の公立小学校の教育現場って、ほとんどがこういう状況なんだろうな」、もしくは「日本の家庭(もしくは会社)ってこういう状況がほとんどなんだろうな」と気づいたということです。

僕が現在お世話になっている、高角小学校は子供の可能性を広げようと様々な取り組みをされている素晴らしい学校です。


学校側も国が決めているルールに縛られて思ったように出来ないという現状もあると思います。でも、そんなルールって「子供たちの人生と比べても大事なんですか?」って思ってしまいます。


どうにか変えていきたいですね。実は僕のこれからのプランの中には、この課題も含まれています。もしこの記事を読んで、共感をしてくれる保護者の方々や先生方がいらっしゃいましたら、お力を貸して貰えると嬉しいです。是非今後の活動にご注目ください。

あでゅ。



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