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カテゴリ: 僕が東京から、最も遠い町に来た理由。


前回、前々回と僕が東京から島根に移住しようと思った理由に繋がったエピソードを綴っています。


移住の理由①|僕が東京で、若者の考え方から感じた3つの危機感。 : 僕が東京から、最も遠い町に来た理由。


移住の理由②|僕が東京で見つけた、相手が主体性を無くしてしまう3つの原因。 : 僕が東京から、最も遠い町に来た理由。


僕が東京で働いていて感じたことは、若い世代の子たちが主体性を失い、自らチャレンジすることを諦めてしまっているということでした。


そして、そんな状況をつくりだしているのは、我々上の世代である大人達の行動が原因なのではないかという考えにたどり着いたというわけです。

では、この状況を打破するためにはどうすればいいのか?

答えは簡単です。たった一つのことだけ変えれば、全ては解決します。

それは、「余裕」を持つことです。


■「 余裕」を持つことがが前提になる社会を目指して。

「余裕」があれば行動が変わります。前回紹介した主体性が無くなってしまう原因は、全て余裕が無いからこそ起こってしまうことなんです。

「余裕」があれば、相手に考えさせることができます。「余裕」が無ければ考えている暇など無いので、一方的に命令するか、教えている暇もないので、自分でやってしまいます。

「余裕」が無いから、相手に口出しをしたくなります。相手の考えが無謀だと感じたら、すぐに否定に入ります。

失敗する「余裕」が無いので、行動を躊躇してしまいます。「チャレンジしてから考える」のではなく、「安全だとわかったらチャレンジする」と保守的な考えになってしまいます。

例えば、あなたにお子さんがいたとします。男性であれば、朝出勤する前のバタバタしている時間帯、女性であれば朝食を作って朝の準備をしている忙しい時間帯。

お子さんが朝食で出したオレンジジュースのコップをもって変な飲み方をして遊んでいたところ、コップを倒してオレンジジュースをまき散らしてしまいました。

さて、あなたはどうするでしょう?

大体の人は「こら、あんた何やってるのー!ちゃんと飲みなさい!そうやって遊ばないの!」というように、わーっと叱ると思います。そして、時間が無いので、こぼしたオレンジジュースをせっせと布巾で拭きとります。

どこの家庭でも見られる、至って普通の光景だと思いますが、この光景をイメージしながら、前回書いた「相手が主体性を無くしてしまう3つの原因。」を読んでみてください。


移住の理由②|僕が東京で見つけた、相手が主体性を無くしてしまう3つの原因。 : 僕が東京から、最も遠い町に来た理由。


どうでしょうか?

何気なく、子供に対してとっている行動は、「命令」であり、「否定」であり、「過度な援助」になっていることにお気づきですか?

しかも、「なぜやっては行けないのか?」という理由も添えられていないんです。

まぁ、忙しくて「余裕」が無いときに、こんなことになったら仕方ないですよね。いちいち「なんでこぼれちゃったんだろうね?」と問いただしていたら、10倍の時間がかかってしまいます。

命令をしないということは、自分でどうすれば良いのかを考えさせること。否定をしないということは、自分で考えたことを思ったようにやらせるということ。過度に援助しないということは、失敗することが分かっていたとしても一定の距離を保って見守ることです。

そのためには、「時間の余裕」も、「心の余裕」も必要です。

この「余裕」が圧倒的に足りていないのが現代人、とくに都心部に住む人たちなんじゃないかと思います。

だから僕は考えました。時間と心にもっと「余裕」があれば、もっとのびのびと未来をポジティブに考えられる人になれるんじゃないかなと。

「余裕」さえあれば、実は「お金」も「地位」も「名誉」も要らないんじゃないかって。「余裕」があることが前提の生き方を探してみよう。そう思いました。

そして、自ら「余裕」のある場所を作って、「余裕」を求めている人たちの受け皿になりたいと思うようになりました。

これが僕が東京を離れた理由です。


■ つまるところ島根に来た理由は…?

「なぜ島根?」という質問をされると返答に困るのですが、ぶっちゃけどこでも良かったといえばどこでも良かったんです。「余裕」がつくれそうな場所であれば。

日本全国、田舎は沢山ありますし。地域活性化やIターン、コミュニティデザインってものも流行っていることですし。

強いていうならば、先日、島根についてから今の家に引っ越すまでにお世話になっていたゲストハウス兼バーの「yurusato」があったからでしょうか。


無事、島根に到着しました!ひとまず「ゆるっと」yurusatoに宿泊中。 #移住日記 : 僕が東京から、最も遠い町に来た理由。


去年の年末、ソトコトの12月号を見ていたところ、コミュニティデザインの特集に「yurusato」が載っていました。それを見て、僕は「僕が求めている居場所はここにあるのでは?」と、直感で思いました。

そして、今年の3月に初めて島根を訪れました。そこで「yurusato」のオーナーを通じていろいろな人と出会いました。そこで現地の人の顔が見えたということが大きかったと思います。おそらく情が生まれたんでしょうね。

2泊3日の旅を終え、東京に戻り、その次の日に島根への移住を決め、仕事を辞めることを会社に告げました。

とても不思議なことですが、その出会いが無ければ、今が無かったということなんですよね。


■ これから課題ばかり...ご協力お願いします!

これから課題は沢山あると思います。というか、会社を辞めて今は収入がないので、どちらかというと課題しかありません。

でも、なんだかわかりませんが、楽しくやっていけそうです。

自分のやりたいことをやれているからでしょうかね。自分の生きたい生き方を模索しているからかもしれません。

僕はこの地で「余裕」を前提とした生き方を模索して、生きる選択肢を増やせればと思っています。都会で働くことが全てじゃなく、田舎でも仕事を作って生活していくことが出来るということを証明したい。

そして、都会暮らしに疲れてしまった人、様々な困難を抱えていて都会での生活には適応できない人などが移り住んでくる場所を作りたいと思っています。

もし同じようなことを考えている方がいれば、ぜひ連絡ください!田舎弱者の僕は、まだ右も左も分からないので協力してくれる人が必要です。

情報をくれる方も必要ですし、応援してくれる方、このブログの情報を拡散してくれる方も必要です。

少しでもお力を貸して頂けると嬉しいです。

それでは!

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前回、僕が東京から島根に移住した理由として、東京で働いていたときの原体験のことを書きました。


僕が東京で、若者の考え方から感じた3つの危機感。 : 僕が東京から、最も遠い町に来た理由。


若者の考え方に違和感を持ち、それが危機感になり、「何か行動しなければ」という衝動になったという話です。(どんな考え方に違和感をもったのかは、記事をご覧ください。)

その原体験を通して僕は「どうすればこの状況を変えられるのか?」を考えました。今回は考え抜いたその答えについて書こうと思います。


■ なぜこのような考え方を持ってしまうのか?

なぜ、僕が関わっていた子たちは、自分を隠し、自らの答えを導こうとせず、夢を諦めてしまっているのでしょうか?それは「上の世代の人たちがそういう空気を作っている」と前回、書きました。

じゃあ、上の世代の人たち(以下、わかりやすくするため「大人」とします)のどんな行動が、「そういう空気」を作り上げてしまっているのでしょうか。

まず僕のなかで浮かび上がったキーワードが「主体性」でした。この「主体性」を持てない環境で育ってしまえば、他人に従うことが当たり前になってしまいます。

逆に、他人に従うことが当たり前になってしまえば、主体性が無い人になってしまうということです。

じゃあ、なんで「主体性」が生まれないのでしょう。その原因は以下の3つだと、僕は考えました。


■ 主体性が無くなってしまう3つの原因

1.命令してしまう。

立場が上の人間は、ついつい子供や部下に対して、「ああしなさい」「こうしなさい」と命令してしまいます。時には有無を言わさず、理由も述べずに命令をしてしまうこともあるでしょう。

そして、命令に従わなかったら、不機嫌になったり、叱ってしまうこともあると思います。

「命令に従わなければ叱られる」という意識が植え付けられてしまえば、命令された時には、嫌な思いをしたくないので命令に従うようになります。命令にしたがえば叱られることは無いですし、逆に褒められることもありますからね。

命令に従うことが当たり前になっていけば、自ら考えて行動することを止めてしまいます。どんどん相手の命令に忠実に従うことが正義と考えるようになっていきます。

これでは軍隊です。

軍隊には「敵のミサイルを迎撃する」「敵の艦隊を撃破する」という、明確なミッションがあります。命令に逆らうようなことがあっては、ミッションがスムーズに遂行されなくなってしまいます。

命令に従わせるために、自ら余計なことを考えないように洗脳をしていきます。極端な例をあげれば、ニュースなどで見る、北朝鮮の「将軍様主義」をイメージしてもらえると分かりやすいと思います。(北朝鮮の人々が実際どうなのかは置いておいて)

命令をするということは、自分に従わせるということです。与えられたミッションを遂行するマシーンにはなれるかもしれませんが、自らのミッションを考える力は無くなってしまうんじゃないでしょうか。


2.否定してしまう。

立場が上の人間は、ついつい子供や部下に対して、否定的な態度をとったり、「いやでも、それは違うでしょ」と否定的な言葉を投げかけてしまいます。

自分が培って来た知識や経験があるので、ついつい自分の中にある答えを押し付けたくなってしまいます。それが古い時代の知識や経験だったとしてもです。

「これは良いかもしれない!」と子供や部下が意見を言ってきたときに、否定的な言葉を投げかけると、相手は「意見しても無駄だな」と考えてしまいます。

どうせいくらいっても自分の意見は通らないんですもの。否定されるだけ。ときには「そんな考えだから、お前は甘いんだ」と怒られてしまうこともあります。

そんなことになったら最悪です。「自分の意見を言ったら怒られる」という意識が植え付けられてしまうんですから。

どうせ怒られるんなら、黙っておいたほうが良い。相手に合わせておいたほうが楽だし、余計なことはしないでおこうという考えを持ってしまいます。

これでは前向きに「自分の意見を言いたい」と思える人なんか生まれませんよね。


3.過度な援助をしてしまう。

立場が上の人間は、ついつい子供や部下に対して、過度に手を貸してあげたくなってしまいます。

やはりこれまで培って来た知識や経験があるので、上手く行かないところを見ていると早々に口出しをして、「ちがう、ちょっと貸してみろ」と本人の代わりにやってしまいます。

代わりにやられてしまった側は「ラッキー」と思うかもしれませんが、このまま手を貸してもらってばかりいたら。自分で解決することが一生出来ない人になってしまいます。

これは僕の実体験なのですが、僕の母親は世話焼きでお人好しなので、けっこう過度に手を貸してしまいます。

それには愛情も感じるし、感謝しなければならないことなのですが、その結果、僕は新幹線の乗車券や航空券を自分で買うことがありませんでした。そして、良い大人になってから買い方が分からずに困った覚えがあります。

細かいことですが、そんな経験がちらほらと思い当たります。

早い段階で失敗をしたり、「どうすれば良いんだろう?」と考える機会があれば、その分成長も早く出来ます。

人にやってもらってばかりいたら、その成長する機会が無くなってしまうんですよね。

つまり、過度に手を貸すということは「相手の成長する機会を奪ってしまっている」ということになります。

幼い頃、若い頃に困難を乗り越えるという経験をしていなければ、大人になって大きな困難にぶつかったときには、すぐに諦めてしまうようになっていしまいます。これでは前に進むことは出来ません。


■ 主体性を発揮させるには「待つ」こと。

みなさん、僕が考える「主体性が無くなってしまう3つの原因」についてどういう考えを持ったでしょうか?身に覚えがある人も多いんじゃ無いかと思います。

この3つ、全て「待つ」ことが出来ていないんです。答えを急ぎ過ぎるあまり、自分の考え、自分の価値観を相手に押し付けてしまっているんです。

それが行き過ぎた結果、相手はその押しつけられた考えや価値観に従うことを選びます。

怒られたくないから。そして、楽だから。

この問題を改善する方法は、ただひとつ。

それは次回に持ち越そうと思います。次回は、いよいよ「僕が島根に来た理由」にたどり着きます。(たぶん)

乞うご期待!

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島根に到着してから、早いこと1週間。そろそろ僕が島根のこの地で「何をしようとしているのか?」をまとめて行きたいと思います。

前にヒッチハイクをする理由として、ほんの少しだけ簡単に書いたこともありますが、このブログを「僕が東京から、最も遠い町に来た理由。」というタイトルをつけていることもあるので、その辺の理由から書いていかないといけないですね。


脱サラから1週間、島根移住のために出発します! #移住日記 0日目 : 僕が東京から、最も遠い町に来た理由。


僕が東京から離れた理由には、とある原体験があります。それは東京が働いているときに感じた、若い世代の考え方への違和感と危機感です。

具体的な業務内容はあまり言えないのですが、前職ではエンターテイメントの世界を志す若い子達(10代後半から、20代前半)の管理育成、マネージメントを担当していました。

毎日毎日、自分よりも年齢の低い子たちと、未来のビジョンについて話し合い、将来についてや人間関係についての悩み相談を受けることが僕の仕事でした。

今思えば、とても貴重な経験だったと思います。自分と異なる世代の子達と触れ合う機会なんて、普通に生活していたらそんなに沢山はないですよね。職場で部下がいるとしても、人数はそれなりに限られていると思います。身近な仕事では、学校の先生くらいでしょうか。

そんな貴重な経験をさせてもらって、いろいろと学びもありました。学んだことは沢山あったのですが、それ以上に感じていたこと。それが、若い世代の子達の考え方への違和感だったんです。

最初は「最近の若い子はこんなもんだよなぁ〜」と軽く考えていたのですが、思った以上に根強く、この違和感は危機感へと変わるようになりました。そして、この危機感は僕を動かす衝動へと変わっていったのです。


■ 3つの危機感。

その危機感が以下の3つです。

1.常に自分を隠そうとしている。

一番、強く感じたのはこれです。「自分を隠そうとする」、言い換えると「自分を出すことを怖がっている」ということですね。

自分を表現することで、「変な人だと思われるんじゃないか」「嫌われるんじゃないか」「笑われるんじゃないか」ということを常に気にしています。抽象的な表現ですが、「良い子」になろうとしてしまうんですよね。

例えば、天然でおバカキャラの子がいるとします。それはその子の特徴であり、個性ですよね。天然の子と一緒にいると、その斜め右に行った発想が面白いですし、突拍子もない発言は場を和ませる効果もあルト思います。それは魅力になりうることです。

でも、本人はそんなこと思っていません。

「バカにされないように、ちゃんとしなきゃ。」「社会で恥ずかしい思いをしないように、真面目にならないと。」「周りに迷惑かけないように、普通でいないと。」と考えてしまいます。

さて、ここで質問です。そうやって、ちゃんとして、真面目になって、普通でいることで、その子の良いところって表に出ると思いますか?

「みんなと一緒」

これで、クローンのような社会人の出来上がりです。

「自己表現することは、ダメなこと。」これが今の子たちが考えていることです。自己表現が出来なくなったら、自分の得意分野も見つけられなくなります。自分の悪いところばかり気にして、劣等感に陥ります。

面白くて、想像力にあふれた発想も生まれず、誰でも考えられるようなものしか生み出せない人ばかりになってしまったら、新しいものは何も生まれず絶望的です。

これからの日本の将来を担う若者は、果たしてこれで良いのでしょうか?


2.常に誰かに正解を求めている。

「指示待ち人間」という言葉が使われだしたのはいつ頃なんでしょうかね?「正解を求めている」というのは「正解は何ですか?」「正解を教えてください」という考えを持っているという意味です。

正解を求めることは必ずしも悪いことではないので、言葉の表現の仕方が難しいのですが、「答えは誰かが持っていて、その答えを探すこと」が前提とされてしまっているところが問題だと感じました。

誰かが答えを知っているばかりであれば良いのですが、世の中には答えが無い問いも沢山あります。教育、ビジネス、人間関係、人生とは答えの無い問いばかりです。

誰かに正解を求めてばかりいると、自分で答えを見つけられなくなってしまいます。それだけではなく、「誰かの正解」=「自分の正解」という認識をしてしまいます。

生まれた時代、住んでいる場所、家族構成、性格、好きなものや嫌いなもの、人それぞれ全く違う要素から構成されているのに、「誰かの正解」=「自分の正解」としてしまうのには無理がありますよね。

「答えは誰かが持っているから、頑張ってそれを探そう。」これが今の子たちが考えていることです。自分で答えを見つけられなくなったら、相手に答えを提示してもらえないと、前に進めない人になってしまいます。答えの無い壁にぶつかったときに、それを乗り越えることを考えることが出来ず、絶望的です。

これからの日本の将来を担う若者は、果たしてこれで良いのでしょうか?


3.自分のやりたいことが出来ないと思っている。

夢を持つことは非常に良いことです。でも、今の子たちは「夢は叶わないもの」だと思っています。「いつまでも夢ばっかり見てないで、早く安定した職に就かなきゃ。」こんなことを思っている人は沢山いるんじゃないでしょうか。

金銭的に難しいから、年齢的に難しいから、親が反対するから、子供がいるから、田舎に住んでいるから、いろんな原因を見つけては、「夢は叶わない」と自分に言い聞かせます。そして、自分がやりたくもない仕事につき、愚痴を言いながら一生働くことになります。

夢を見ているだけじゃ前に進まないですが、「本気で夢を目指したい」のであれば「どうすれば夢を叶えることが出来るのか?」必死に考えれば良いと思います。夢は自分で開拓するものです。無理かどうかは、やってみなきゃ分からないじゃないですか。

でも、やる前から「無理」だと思い込んでしまう。チャレンジもしないで「無理」だとあきらめてしまうんです。

「どうせ夢は叶わないから、現実を見て誰でも出来ることをやろう。」これが今の子たちが考えていることです。夢は夢だからこそ、叶えたときに大きく得るものがあるんだと思います。夢は無理だと諦めて、無難な道を進むのが当たり前になってしまったら、人生って楽しいんですか?人生は楽しくないものだと考えるようになってしまったら絶望的です。

これからの日本の将来を担う若者は、果たしてこれで良いのでしょうか?


■ 自分の人生ではなく「他人の人生」を生きている。

僕が感じた危機感を3つあげましたが、実はこの3つは根本的な意味では同じことなんです。

自分を隠そうとしてしまうことも、誰かに正解を求めてしまうことも、やりたいことが出来ないと思ってしまうことも、全ては「他人の価値観で生きてしまっている」からなんです。

人に嫌われようが、笑われようが、それは他人の価値観です。誰かに正解を提示されようが、それは他人の価値観の中での正解です。夢は叶わないと思い込んでいるのも他人がそう言っていたから思い込んでいるだけで、それは他人の価値観です。

みんな「自分の人生」を生きてないんですよ。「他人の人生」の中で肩身の狭い思いをしながら生きている。自分に合うはずのない「他人の人生」に頑張って合わせて生きている。そんなの楽しくないし、辛いだけじゃないですか。

僕はそんな考えを生み出しているのは、この日本社会の「空気」だと思っています。そして、その「空気」をつくりあげているのは、「上の世代の人間」です。

上の世代の人間がつくりあげた社会の空気は、下の世代の子たちにとっては非常に生きにくい空気になってしまっています。このままでは将来に希望を持てない、お先真っ暗な社会になってしまいます。

日本の10万人あたりの自殺率は、21.7%。

先進国の中で比較すると、

アメリカ 11.0%、
イギリス 10.9%
イタリア 10.0%

と、ずば抜けて高い数値を叩き出しています。僕の感じた危機感がこの自殺率に関連しているかは分かりませんが、何かを変えなきゃまずいのは確かです。


世界 自殺ランキング  自殺の多い国は? 自殺の少ない国は?: 教えて!世界ランキング 2014 ~世界の統計~ 世界一の国はどこ? 日本は何位?


「どうすればこの状況を変えられるのか?」

それを考え出したのが、僕が島根に飛び立つことになったキッカケでした。次は、この「どうすればこの状況を変えられるのか?」という問いに対して出した、僕なりの答えはなんだったのかを書いていきたいと思います。

乞うご期待!

※追記※

そういえば、今年「嫌われる勇気」という本がベストセラーとして、かなり注目されましたが、基本的に僕の思っていることと同じようなことが書いてありました。そんだけ売れてるんだから、みんなそろそろ気づき始めているんだと思います。

僕の考えに共感してくれる人で、もし読んでいない人がいれば、ぜひ。

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僕は「教育」と「コミュニティ」というふたつのテーマに興味を持った。

より良い生き方を探すためにはこのふたつのテーマが必要だと考えたからだ。それは誰もが分かっていることなんじゃないかと思う。

しばしこのふたつのテーマは議論の対象になることはあるが、現実的に僕らの生活に目に見える変化があるかと言ったら、なかなか実感することができない。

じゃあなんで、現実的に変化が訪れないのか?

それは今の生活に「余裕」ないからなんじゃないだろうか。

仕事におわれ、お金の支払いにおわれ、老後を気にしながら生活をしている。時間的にも精神的にも「余裕」はなく、いつもピリピリしていて、隙があれば愚痴ばかり言っている。

そんな「余裕」のない社会で何を変えられると言うのだろうか。

自分のことで一杯一杯の人達がどこまでまわりを見る余裕があるだろうか。

「教育」
「コミュニティ」

このふたつのテーマが成熟して行くためには、どうしても「余裕」が必要なのだ。

だから僕は、「余裕があって、多様性が認められて、未来が見えるコミュニティ」を作りたいと、漠然と考えていた。


出会いは、昨年末のことだ。僕は年末のまとめとして、これまでブログに書いてきたようなことをノートにまとめていた。

自分はこれから何をしたいと思っていて、何を勉強して、何をするべきなんだろうかと、じっくりと考えていた。

その夜、とあるラジオを聞いていたら、たまたま聞こえてきたフレーズに引っかかった。

「ゆるいコミュニティ」「お年寄りと若者のつながり」「地域づくり」そんな気になる言葉がならんでいた。

僕は急いでiPadを取り出し、ラジオで取り上げられていた場所を検索した。

そこには、僕が思い描いていた「ゆるいコミュニティ」の場所がそのまんまあったのだ。

それが、僕と島根の出会い。そして、「yurusato」との出会いだったのだ。

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yurusato
http://yurusato.com

2014-04-02-00-07-44


この前は、僕が「なぜ教育に興味をもったのか?」ということについて簡単に書いてみた。

次はこの「教育」というテーマからどうやって「島根」に繋がったのかだ。

「教育」と「島根」をつなぐにはもうひとつのキーワードがある。

それは、「コミュニティ」だ。

僕は身の回りの若い子の考え方や生き方を見て、とても窮屈に感じていた。何かを伺いながら生活をし、ときには怯えながら生きている。そして、そのことに対して危機感さえも覚えた。

そして、少なからず自分もその一員であることも充分に感じていた。

僕らはなんでそんなに窮屈な思いをしているのだろうか?その問いに対して、ふたつの仮定を立てたのは前述したとおりだ。

じゃあ、これからどうして行けばいいのだろうか?小手先の小細工でどうにかできる様な問題ではないことは明らかだった。

しかし、だからといって教育委員会や行政に頼っていたら何十年経っても解決されることはないんじゃないかとも思った。

根本的な問題は何なのだろうか。

そこで、僕はさらに3つのキーワードに注目した。

「多様性」
「経験」
「健康」

この3つだ。

全て解説して行きたいところだが、それではなかなか前に進まないので、細かいところはまたどこかでするとして、この3つのキーワードにとって必要なもの、そして見直さなければならないものは、「コミュニティ」なんじゃないかという結論に僕の考えは行き着いた。


「多様性が認められるコミュニティ」
「経験、体験が豊富にできるコミュニティ」
「心身ともに健康的に過ごせるコミュニティ」


完全に専門性のない持論だが、この3つの充実があれば、人は幸せに生きていけるんじゃないかという答えに行きついた。

だったら、そういうコミュニティを実現させたい。「日本の教育を変えたい!」「日本のコミュニティのあり方を変えたい!」とまでは言わないけど、そんな居場所を必要としている人のよりどころにくらいはなりたい。そう思った。

それから、僕はコミュニティデザインについての書籍を読んだり、子供と関わることが出来るNPOにボランティアとして参加したり、教育についてはさらに興味を深めて行った。健康については、もともと健康ヲタだったので、特に苦労せずに知識を身につけることが出来た。

そうやって書籍やネットでの情報に触れたり、いろんな人の話を聞いているうちに、「誰もが気軽に集まれる居場所を作りたい」という思いが強くなっていた。

その思いをさらに強くしたのが、まだ記憶に新しい東京都知事選だったりもする。僕は、突如おじいちゃん候補者達の中をかき分けて現れた、家入一真候補のボランティアとして、それほど力にはなれなかったが参加させてもらうことにした。

家入さんがかかげていた「僕らの居場所」と、僕の考える「居場所」が非常に近いものだったからだ。

自分を認めてもらえる居場所があれば、好きなことを好きなだけ経験出来る居場所があれば、心身ともに健全でいれる居場所があれば、もっと僕らは生きやすくなるんじゃないだろうか。

きっと家入さんも、僕と同じようなことを考えているはずだ。

誰でも気軽に出入りができて、ゆるいコミュニティがあって、ワークショップなどの体験も出来る居場所。次世代集会場みたいなものを作りたい。その思いはどんどん強くなっていった。

今回はここまで。

僕が島根と出会うのは、あと、もう少しだ。

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